銀輪旅人 イーハトーブの風

ランドナー乗りの きままな日記

2020年04月

昔話も4話目 

富士山に登った話
大学2回生のころ
学生会館と呼ばれる 部室棟2階に サイクリングクラブの部室があった。

部室というのは 維持するために いろいろ しないといけない。(入れ替わりもあるので)
サイクリングクラブは 1クラブで 1部室なのだが 実績のないクラブは 2~3クラブで1室というのが多かった。 
うちのクラブは 先輩方の活動と実績が認められていた?ので 部室は安泰でした。
なかでも 文化活動として 写真展をよくしました。
旅先の写真を 引き伸ばしてパネルにして展示。
写真好きの先輩と 私と 暇を持て余した連中で 部室を暗室にして夜中に写真を引き伸ばして焼き
ました。 現像すると 心霊写真風の画像が出てきて 皆で 「エキトプラズマじゃ~~」って
大騒ぎしたものです。
今でも 定着液の酸っぱい臭いが思い出されて 鼻の奥がムズムズします。

他には 他大学との合同イベントや 一般人向けのイベント、サイクル運動会 サイクルオリエンテーリング 学祭の行事参加など。 
中でも 部独自の活動が 実績評価に一番大事で 数年に一回 大きなイベントをしていました。
神戸~山口ノンストップラン」 毎年の「敦賀~神戸250Km耐久ラン」 「紀伊半島一周ラン」 など 自転車を使ったイベント活動です。
私が2回生になった時 一度挑戦したかった 富士登山ラン をクラブイベントですることになりました。 下見は 私と 高校で登山部だった後輩と2人で 山開き前に登りました。途中雪が降ってとても寒かったです。 本番まで 1ヶ月ほど アタック隊(自転車担いで登る隊員)と サポート隊にわかれて体力トレーニングしたりしました。 この様子は 朝日新聞神戸新聞にも取り上げてもらいました。 
そして 本番(山開き前です)
アタック隊は 電車で御殿場駅まで行き、そこからは 自走でスバルラインを 富士山5合目まで走ります。 それから 高山に馴れるために 1泊しました。
ここで バスで登ってきた サポート隊と合流です。 
翌日 快晴の朝をむかえました。 円陣をくんで エール
山頂めざして 登り始めます。
7合目くらいまでは わりと余裕でしたが 8合目 9合目になると 息が上がってしまいます。
山頂ちかくになると 3分動いて 3分休み・・・ やっとの思いで 山頂の御鉢にでました。 剣が峰には 御鉢巡りで行きます。 まだ このころにはレーダードームがありました。剣が峰に立つと 伊豆半島がくっきり見えました。さすがに富士山 独立峰ですから ながめがいいです~
遠くに残雪の日本アルプスの峰々が 神々しく輝いています。 
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御鉢巡りで 剣が峰をめざす 後ろは噴火口 左端が私です

サポート隊は 8合目でアタック隊と別れ 山頂まで登らず 引き返して 5合目へ向かったのでした。そして バスに乗って 御殿場で再合流の予定でした。 

一方われわれ アタック隊は 剣が峰から ブルドーザー道を下り御殿場に向かいます。
ブルドーザー道は 砂(軽石)が深くて タイヤが20cmくらい沈みこんでしまいます。
この当時 まだ マウンテンバイクは 一般には浸透していませんし 私たちも この時は 全員ガードを外した ランドナー (私は クライマー)タイヤは 650x38B か 42B でした。
沈み込んだ車輪を スキーのように滑らせてジグザグに降りて行くのですが 時々 砂にはまり込んで
前転してすっ飛びました。 着地しても 砂なので 痛くないものですから 皆面白がって すっ飛びならが 下りました。宝永山を横に見ながら下ったの景色は頭に焼き付いています。
自衛隊基地の横を通り あっという間に下って 集合場所の御殿場に到着しました。
登りは 2日かかりましたが 下りは 2時間半ほどでした。

アタック隊にトラブル?
後で聞いて 「なんじゃそりゃ~」って 笑い話になるのですが・・・
当時は 携帯電話はありませんから 一応 連絡用に トランシーバーを用意しておいたのです。
部員同士が トランシーバーで おしゃべりしすぎて 電池切れ
おまけに 学校本部にいた部員と連絡しあって アタック隊の 御殿場到着を知らせてあったのに
5合目に残って サポーター隊の中継をする連中が いたずら電話を頻繁に掛けたらしくて 神戸の本部にいた部員が呆れて帰ってしまうことに。
 まずいことに アタック隊の御殿場到着の連絡が 富士5合目に着いたサポーター隊に伝わらないまま時間が過ぎてしまいました。
 
天候が悪くなってきたのもあり サポーター隊の連中が アタック隊の心配を始めてしまいます。
一方我々は 本部に到着の連絡をしたこともあり 御殿場駅でアイスを食ったりして のんびり皆の帰りを待っていたのでした。

サポーター隊の連中が 幻聴を聞く・・・
まずいことは 重なります。
女性部員が 「アタック隊の声が聞こえた」とか いい出したそうで・・・ちょっとしたパニックになったようです。
山は やはり 舐めてはいかんです。 富士山も舐めてはいけません。
登山経験者が わたしと下見した後輩君くらいしかいなかったのもまずいです。
 
本部にいた部員が 何かの拍子で 連絡がつくまで このパニックは続いたようです。

なんも知らない 私ら5人は待てど暮らせど 連中が帰ってこないので・・・
本部に再連絡 誰も出ない・・・ 自宅に電話すると なんと 本部にいるはずの部員がでてきて 顛末がわかったという次第です。
なんだか知らないうちに とんでもないことになりました・・・とさ!

 サポーター隊と再会した時は どえりゃ~ことになりました。 
今でも 当時のクラブ員が集まると この話で 大いに笑います。
 
富士山は いまでは 世界自然遺産 じゃなくて なぜか 文化遺産ですから 自転車担いでの富士登山は ちょっと無理でしょう。
バイクで登ったって話もありますが こちらは 問題外ですね。

こうして2日間で 獲得標高差 7200m!の 富士登山イベントは終了しました。


携帯電話のなかったころは ほんとに ちょっとしたことでも 行き違いがありましたね~ 
そう言えば 30年前 わたしも のちに妻となる彼女とのデートで 待ち合わせ場所で2時間も待たされたことがありました。 携帯電話のある今じゃ 考えられない ことです。
心配して 電話するのですが 全然誰も出なくて・・・
やっとのことで 彼女の家に電話がつながり お母さんが出て「○○は 部屋で寝てますよ~」って!
「えっ・・・・」? ?????が続くよ どこまでも~ 
「とりあえず 無事でよかった~」って。
やってくれますね~ うちの嫁は!  (このあと 平謝りの嫁さんでした)
ケンカ別れしなかったので 今も一緒にくらしています。

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昔話 三の巻

スポーツ自転車に乗り始めたのは 16歳 高校1年
兄のお古(といっても 綺麗なまま 輪行袋に入っていた アルプス・クイックエース)をもらったことから始まった。 (新しいもの好きの2番目の兄は ちょっと飽き性だった。 このあと エアライフルをやっていた。 自転車は体力的にしんどかったようだ)
お陰で 最初の一台から アルプス というツーリング車に乗れることになったのだから感謝しかない。
乗り始めたころはまだ チビだったので サドルを一番下げた状態でしか 脚が届かない状態で、 1年後にやっと 現在の身長ちかくなり まともに乗れるようになりました。(今でも大きくないですが) (この自転車 未だに 現役で乗っていますし・・・) 

東海道五十三次を走りたい!
高校2年生の夏休みに 一人 東京へ輪行して出かけました。
東京駅の片隅で組立てて 日本橋の銘板のまえに立って 「ここが 東海道五十三次の出発地か~」と 感慨にふけっていたら 警官が寄ってきて 「こら~ ここは自転車通行禁止!」って 怒られた。 
しかたなく 自転車を押して旅にでた。
東京を出て 初っ端から 道に迷った。 西に向かっているはずが いつの間にか 東京へ戻る道へはいっていたりで前途多難って感じでした・・・

東海道を旅の1番に選んだのは 家に飾ってあった 永谷園のおまけの 東海道五十三次カード がきっかけでしょうか。 毎日眺めていたので・・・自分の脚で 旧東海道を走って こんな景色を拝んでみたいと・・・
ちょうど歴史に興味を持ち始めたのも このころで 司馬遼太郎や新田次郎の歴史小説を読むようになって ますます 旧道に関心を持つようになりました。

行ってみると 当たり前ですが 昔の風情も面影も 有った物ではありません。
ほぼ国道1号線を 時々脇道で旧道を 通り ひたすら 京都三条大橋を目指します。
箱根の峠を越えて なんとか 一安心した記憶があります。
泊まりは 橋の下(富士川)で一夜を明かしたり YH(小夜の中山)泊まったり テント泊しました。 

東京~京都間 約500キロ 初の遠出・泊まりサイクリング 
一日に走る距離は大したことはなく 100キロほどで計画したので 
4泊5日で京都にたどり着きました。
京都から 大阪の家まで さらにあと30キロ 
(走り切った感がある後なので・・・気力がどうしてもなくなって さらに・・・) 
途中 お腹を壊して 喫茶店でトイレを借りた記憶があります。
フラフラで 家にたどり着いたのですが 親には そんな姿見せられないので 虚栄を張って 元気いっぱいに 「ただいま」を言ったのでした。

当時の国道1号 大型トラックにトレーラーが大量に走っていて ほんとに怖かったです。
あと 走っていると 並走して応援してくれるサイクリストがいたり、休憩していると お茶やお菓子をだして世話を焼いてくれる人がいたりで 
旅にでて 人の情けにふれて感動するという経験 をしてしまいました。 
これを経験すると やめられなくなるという奴です。 
しんどいだけで終わっていたら 今頃自転車には乗っていなかったのかもしれませんね~ 


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昔話 二の巻

蛍のお宿
大学1年の夏 福島猪苗代湖発での 初の夏合宿があるので そこまで自走していく途中の話
下北半島で 一夜の宿・民家の庭でテントを張らせていただいたことがあるのだが、
奥さんは 大阪枚方(ひらかた)出身だということでした。 
私は隣の茨木市ですから 「懐かしい大阪弁が聞けた」と喜んでいただけました。
(話をしただけで これだけ喜んでいただけるとは・・・)(私も 青森弁がまったく聞き分けできないなかでしたから お互い様でしょうか)
夜中になると 庭の片隅にが 舞い 舞い すご~~い 事になりました。 
(蛍の 乱舞ってこれか~~)
翌日 大間崎まで北上するのですが・・・未舗装の酷道を 猿が見つめる中 
パンク頻発でしたが・・・走りました。 
途中の仏が浦は ほんとにあの世に見えました!
(この話は 時々していますが タイヤの黒い部分がどんどん剥がれて ボウズタイヤになって しかも ダートは半端ない凸凹道。 持っていたパッチはどんどん無くなって行きました) 

大学同期のSは とにかく雨男
彼の上にだけ雨雲が湧いているのを見た!という証言が数多あるくらいすごい 雨男なんですが、 
ドジもいっぱいあって 峠で休憩して 気持ちよく下っていくと「ちょっとまった~」って 声がかかります。
「何事 パンク?」「いや デイパック峠に忘れた・・・とりにいってくるわ!」 峠に物をおいたまま 下ってしまった事件(2度くらいやってますね~ 輪行バッグだけおろして 網棚のデイパックを忘れたってこともあった)
Sの逸話は 山ほどあるのですが・・・おいといて
ちょっといい話です 
ソロで北海道を走っていた時の話です。

北の大地の真ん中で!
小樽に上陸してからもう10日以上たちます。北上して天売焼尻島 宗谷岬 礼文利尻島 名寄経由で 紋別 サロマ湖 網走を経て 屈斜路湖
摩周湖の展望台を登り 釧路目指して南下 弟子屈町内の 真っすぐな道路を走っている時の事です。
何台か 自転車 バイクとはすれ違い お互い ピースや ガッツポーズしたり スペシウム光線(バイクのやつがやっていた)挨拶を交わしていました。
前方から 一台 キャンピングが来るのが見えて (直線だから 随分とおくにいても見える)どんどん近づいてくる。 「なんか みたことあるぞ」
向こうも わかったようで 盛んに手を振っている。 
北の大地の真ん中で 雨男のS と偶然出会った。 
(すれ違っただけなんですが・・・)
合宿まで まだ1週間ほどあるので お互い好きなところを走っている最中です。
 集合地で会おうと 別れました。 
(合宿は初日からの連日雨で Sは先輩女子にさんざん責められていました)かわいそうに・・・


Sとは 縁があるようで 九州を走ったときも・・・
宮崎県 高千穂で また顔を合わせました。
ソロで九州を走っていた 春合宿前のフリーラン 
宮崎県 高千穂狭へやってきました。 ボートに乗って 天岩戸神社を参拝しました。
向うから 来るボート一艘 オールを上げて叫んでいる奴がいる。
なんと Sでした。
神秘的な風景の中 「また会ったな~」と 

そいえば 大学の初の旅はこのSと二人 青春18きっぷで 2日かけて
秋田県大館駅までの輪行でした。
(運悪く 1日目は 台風の影響で 酒田駅で運行中止になったりしました)
北上するたびに 駅そばの汁の色が濃くなっていく様をみたり、
秋田に近づくと 美人の割合がほんとに増えたといった たわいもないことを言いながら。
1日 一緒に走り 彼は 東に 私は 北に進路を取りました。
夏合宿まで2週間前です。

S君はすっかり 髪の毛が無くなって・・・(孫にむしられた?)
同期の中で 一番結婚が早くて、 一昨年 孫が生まれて 名実ともおじいちゃんになりました。
関東に根を下ろしたので 数年に1回しか会えませんが、そん時は 昔話で 腹がよじれるくらい笑いあえます。 


昔話するようになったら ちょっと やばいとか いいますが・・・ 
旅ばな 面白かったら 幸いです! とりとめのない話ばかりですけれど・・・

走れないので 昔話でも・・・

20歳そこそこの頃
大学のサイクリングクラブ 北海道合宿の最終日 (糠平湖?)
キャンプ場で テント泊 そして 打ち上げだった。
1ヶ月ほど 走ってきた最後に(合宿は5日ほど)体調が崩れ、
じんましんで 身体がまだらになって 微熱が出ていた。
いつもは 酒のんで バカ騒ぎしているほうだが この時ばかりは テントで一人 横になっていた。
一夜あけて 体調は戻り 無事帰路につくことができたのですが、 友人の一人は まだ キャンプ地に残るといっています。話を聞くと テントの前に脱いだ靴の片方を キタキツネが 咥えて どっかにいってしまったと・・・

「あいつ きっと 返しにくると思うねん」(何を根拠に!)
 それって ごんぎつねの話ちゃうんかいな~ 
「なんでやねん!」って 思いながら 彼と別れました。

 夏休みがおわり 後期の授業がはじまって 皆が顔を合わすようになるのですが 彼がいません。 まさか まだ北海道??? キツネが靴を返しにくるのを待っているのか? って 

おくれて 彼が部室に入ってきて あれから 1日待ったけれど 返しに来てくれなくて・・・
片足で 麓の町まで漕いで 靴を買って 帰ってきたそうです。 
今でも謎めいた人ですが・・・キツネの恩返しは無かったという話


九州合宿での話
どうも 私 合宿で体調を崩すようで・・・
九州合宿 霧島から 桜島をへて 鹿児島市内に・・・ 降灰で目がゴロゴロ
ちょうど 桜島が軽く噴火して 灰を降らしていました。
合宿前に 大分までフェリーで行き 国東半島を周り 阿蘇山でキャンプして 南下。宮崎まで行き 都井岬など周ってから 集合地の霧島へ
  
温泉が多い九州ですから 入るだけではもったいない 
飲む温泉っていうのも ありまして・・・ちょうしこいて 飲んでいたのです。
鹿児島の合宿地も温泉で 湯に入った後 またしても 飲んでいたのです 温泉を!
その夜から 腹が痛みだして とどまることなく 腹を下しました。
水当たりというやつですね! 寝ることもできず トイレで夜を過ごしました。
朝ごはんも食べられず・・・1日で ゲッソリやつれてしまいました。 

もちろん 走れず・・・ 止瀉薬飲んで ふらつきながら 一人 西鹿児島港へ向かいます。
(当時まだ 大阪と鹿児島を結ぶフェリーがあったのです 今は志布志までですね)
合宿は続いていて みんなは 指宿~開聞岳方面へ行ってしまいました。
大失態 水当たり 怖し!という話です

食あたりというのは いまのところ 経験したことないのですが・・・ 
別に胃腸がつよいというわけでもなく 寒いとすぐにお腹を壊します。
 胃は 設計の仕事をするようになってからは いつも 痛んでいました。 
締め切りが 近づくと キリキリと痛みましたよ 
歯磨きすると 毎朝 オエェ~~~ ってなっていました。
血尿が出たという 同僚もいたので・・・ 其れと比べると 随分丈夫だったのかもしれません。

次回は ハプニング特集でも・・・ ネタ切れまで レッツラゴー


我が家のテレビ 地上デジタル放送のみでしたが BSも見たいということで
BSパラボラアンテナを取り付けました。

アンテナを付ける以外に 
今契約中のイオネットのネットTVに入る方法 や ケーブルTVに入るという方法もあるのだが
利用料がけっこうネック。 
さらに WOWOWなら₊2300円 スカパーとかだと もうちょっとかかりそうです。

基本 BS観るには NHKの衛星契約で受信料が +月々970円高くなる。 

さらに 出すとなると・・・年間で考えると・・・バカにならない額ですね~ 
  映画やらスポーツ番組もみたいのですが・・・ 
とにかくBSアンテナつけて BS番組観てからかんがえることにします。


アンテナは 前日に注文したら 翌日の午前中に到着(今日の午前です)早~~
 昼飯までに 繋いでしまおう!(とおもったのですが・・・結局3時間ほどかかりました さらに 昼飯を食べるのをわすれて作業していました)

今回は 全部セット(アンテナのほか 金物から ケーブルから テープまでついている)を買いました。 なんも考えないで 作業始められますよ。
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組立・取付
パラボラアンテナを組み立てる・・・ネジで繋ぐだけ 楽勝です

最初 2階の下屋の上にある アマチュア無線のアンテナ支柱に付けてみたのだが 位置が低すぎて 電波が入らない。(衛星は 南西の方向 位置は結構低い)
隣の3階建マンションが邪魔をしている。 
もっと高い位置に取り付けしないと だめなようで 
仕方ないので さらに2mほど上につけることにしました。
セイフティベルトをして ヘルメット被っていても 足場の悪い高所の作業は怖いし 余計なところに力が入るので 疲れます。(下屋の屋根から 4mくらいの高さだ 地上からだと7~8mの高さ)

台座を取り付けて パラボラを取り付ける。
今度は 位置合わせ
電波入力の位置が とてもシビヤで すこしでも衛星から外れると 電波が入らない。

このセットには 電波がジャストに入る位置がわかる レベルインジケーターなるものが入っていたので アンテナの角度はあっけなく決まりました。 
(これが無いと 逆に大変な作業になります)
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ちょうどいい位置になると 中央の LEDが消える仕組みです

自分で付けようと言う人は このセットがオススメですよ!

TVと録画機のチューナーを設定して 作業は終了です。
 綺麗な画面で 放送をみることができました。

なんか結構疲れた~~  
本日は 自転車は無しでした



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