銀輪旅人 イーハトーブの風

ランドナー乗りの きままな日記

羽田元総理の息子 昨年末に亡くなって 次の候補に その弟が出馬するとのこと。

いったい いつから この国の議員は 世襲制になったのだ!!

もうええかげんに してもらいたい。
選挙地盤から 党派から 全部 引継ぎ

どうしても出るのなら 別の地域で 一から やるべきだろう。
こんな 世襲と 老獪傀儡政治には うんざりだ。

50代で若手と言われて・・・ あほぬかせ! 還暦間際の人間だぞ~
脂がのって 一番いい時期? 呆れて物も言えん (江戸時代か?)

アメリカの 次期大統領 バイデンも もう80歳 
政治に 年齢が関係ない? 
しっかり ぼけているのじゃないのかな

40代で 議員の半数を占めるようにならないと 日本は 沈没する前に 没落するよ

Windows10 バージョンアップしました
1900から 20H2バージョンへ 

印刷できたり 出来なかったりと 古いCAD の印刷設定がおかしくなっていたのですが 
バージョンアップ後 バッチリ動くではないですか!
印刷できなくてイライラしていたので まとめて 動くうちに 印刷しています。

年末に 古い フォトショップ7.0 動きがおかしくて 言うことを聞いてくれないので Windows10 バージョンを下げて使っていましたが・・・
 思い切って アップしたら バグがきれいに取れた感じで サクサク動きます。

なんか不思議~~~~ 

デスクトップ画面が 3年くらい前の画面になりましたが どうしたことか・・・
今までがおかしかったのか このバージョンが変なのかわかりませんが

とにかく 動くようになったので 良しです!!
いきなり パッチが届いています。
変更したては なにかと バグがあるのでしょうね~

 

神戸の震災から 26年 (そんなに経つのですね~)

あの日 生まれて2か月の長男と嫁さんを抱えるようにして寝室で迎えた 
1月17日の早朝でした
揺れが終わるのかとおもったら さらに強くなり 「これは今までの地震とは違う」と思いました。
 
幸い震源地から遠かったので被害は少なかったのですけれど 良く揺れました。
あんなに揺れたのは 人生で初めてです。(当時は・・・大阪北部地震では 震源が近くて 飛びあがりました)

リフォーム直後の 我が家の外壁には ヒビが入っていました。
倒れた家具はなかったのですが 食器棚の食器はいくつかは割れていました。
結婚祝いに貰った大皿がわれて ちょっと悔しい・・・なんておもいながら テレビ見たら そ
れどころではない 大災害であるとわかり 身震いしました。
阪神高速が倒れていて・・・数か月前にその下の43号線 通っていたのに・・・
あちこち火事の火の手と煙が上がっています。

その朝から 友人知人と連絡を取り合いました。
神戸には 学生時代の先輩後輩が多く クラブの連絡網で安否を確認したのです。
当時は メールもLINEもなく 駅の伝言板も使いました。
(大学 職場の直接の知り合いは 被害に遭うも 命は無事でした・・・
半年後くらいに 会社にいつも来ていた置き薬 布亀の担当者さんが亡くなったと聞きました。

さすがに 震災直後は 大阪梅田の職場には行けずでした。
(一週間ほど 休んでいたと思います)
当時寝泊りしていた 上司は 頭元に21インチのモニターが落ちてきたと 言っていました!
何処で寝とんねん!と 突っ込んでしまいました。 
当時の設計事務所の所長は 震災直後の神戸に水やら食料をもって 車で乗り込んで 
ユーザーさんのお宅を回ったそうです。(うちの設計で 倒れた家屋は無かったみたいです)

被災から数週間後の 神戸三宮 
関西の設計事務所は 被害調査に入りました。  
私が神戸に行った時は ひっくり返ったビルが何棟もありありました。
よく行っていた 三宮の裏手のビルが まったく天地ひっくり返っていたのに 声も無かったです。

まだ どこかが燻っていて 煙臭かった 三宮
空地だらけで 焼けあとだらけ・・・

職場のあった梅田からは大阪湾の向かいの 神戸から煙があがっているのが見えるのですが 何の手立てもありませんでした。
阪急十三駅の 神戸線から降りてくる人の姿は 戦争被災地からの帰りかとおもうくらい 埃をかぶってというありさまでした。(阪急京都線は 以前と全く変わらずの人達ですから)
こんな状態が 数か月くらい続きました。
ぼろぼろの 神戸が復興するなんて その時は思いもできずにいました。

大阪は たいして被害が無くて・・・ そのギャップの大きさに おどろくとともに あと数キロ 震源地がずれていたら と思うと・・・
(その恐怖は 25年後に実際のものとなりました 大阪北部地震)


震災から半年して 私は尼崎で 震災調査で 公団住宅の被害調査に入りました。
コンクリート壁式 一番丈夫な構造ですが 直下に 断層があったようで 地中梁が切断されるという
被害に遭っていました。 上部の建物自体は 数か所漏水する程度で それほど被害はなかったのですが 建直しするしかないと 判断されました。
取り壊しと 再建 
住民の 苦渋の判断が あちこちでされていた時期です。
すぐ近くの 江戸時代の茶室が 無傷だったとニュースがあったのですが 
当時の建物は 基礎に緊結することなくて 置き石の上に置かれただけという構造 たぶん地震で ジャンプして 何度か ホップ ステップして軟着陸したのじゃないだろうか・・・2mほどずれていたそうです。


木造の在来工法住宅が一番大きな被害
戦後の 新しくもなく 古き良き時代の建物でもない 中途半端な建物が一番潰れたのも この時かもしれません。 在来工法のいちばん良くないところが出てしまいました。
自由過ぎる設計は 建物の重量バランスを欠くことになりました。 
大地震を想定していなかったわけですから しかたないのですが・・・ 
さらに ショックなのは 近代建築も地震で壊れました。
ピロティと言う言葉を これほど聞いたのは 建築史の授業以外では初めてです。
コルビジェもビックリでしょう。 やはり 地震多発国と岩盤のしっかりしたとことは 別に考えないと・・・建築基準法の改訂が後にされました。

評判の良かった竹中工務店のビルが倒れたのは 結構ショックなのですが 震度6で潰れるように設計されていたというから じいっさいに潰れて 地震のエネルギーを吸収して倒壊 人命救出につながったということでしょう。 
丈夫に設計するのは 簡単です。 原子力発電所並に作ればいいのです。 
壊れたのが 竹中のが多かったというのは ちゃんと 設計通り潰れてエネルギー吸収できたということだと なんか 潰れなかった うちの設計の建物が 過剰設計だったのではと 思ったりもしました。


神戸東灘区は 私の大学時代の思い出の地 
大学の最寄り駅 阪急岡本駅一帯が 一変していたのはショックでした。
山の手の 古い家屋は 半壊全壊 落ち着いた住宅街だったのに見る影もありません。
大学も創建時からの石造りの旧校舎が被害を受けていました。
(後に取り壊し 校庭だった部分も含めて近代建築の新校舎がたちました)
アカデミックな雰囲気は 全くなくなってしまいました。

灘の海外線 古い造り酒屋は 見る影もなく潰れていました。
授業をさぼって よく試飲に行っていた 日本酒の菊政宗の木造本家は 倒壊で近寄る事さえできません。
小泉のレンガ街(アクタス)は 見て来た後輩がいうには 「レンガの山ができていた」とのこと。


6000人が亡くなり 64万棟が倒壊 震度7を初めて記録 
当時 社会党が政権をとっていたけれど 初動活動が遅れて さんざん批判されて 政権を無くしました。 東北大震災のときは 民主党政権が だめだめな動きをして これも 潰れました。
いま コロナ禍で 自民党政権のあまりの無策ぶりに 人心が離れていっています。


大災害や 想定外のことばかりで 人智を越えた事象ではありますが、
なんとも 不甲斐ない 政府のやりかた (ダメな野党と ダメな与党 どっちもダメじゃん)

逆を言えば まっとうな政策をすれば 離れた人心を引き戻すこともできるというもの。
ピンチは チャンス 
いいも悪いも 今のメンツでしか 戦いようがないのだから しっかりしてほしいものです。

コロナの死者数 今は 4500人だということ・・・このままだと神戸震災を抜くかもしれません。
自殺者の数が それをはるかに上回る2万人・・・(令和2年12月を除く統計で19,101人) 

困窮時に本当の友人がわかるという 諺がありましたが、 この国は 国民をなんととらえているのでしょうか? まるで他人ごとの様に・・・

英知を結集して 発揮してほしいものです 
 (発言聞いていると 期待薄ですけれど 悲しいことに・・・)


にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村







↑このページのトップヘ